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「氷温食品」のルーツを学ぼう

その1

 今春、日本食糧新聞社から「氷温食品入門」が発刊されました。そもそも、さまざまな氷温技術はすべて生鮮食品の氷温貯蔵をもとに応用発展してきたものであり、食品の鮮度保持や品質劣化の抑制、あるいは品質向上を目的に開発されたものです。氷温熟成、氷温乾燥、氷温濃縮および氷温発酵といった氷温の基本技術や氷温流通技術、あるいは医学・歯学領域等への応用技術や過冷却温度域の利活用技術の開発もすべて、氷温貯蔵がベースとなっています。
 では、「この氷温貯蔵は何から生まれたのですか?」と聞かれれば、原理的には自然の摂理や大寒の旬に関わる伝承食品や技術となるでしょうし、応用的にはコールド・チェーンということになります。このコールド・チェーンは以前の氷温基礎講座「日本におけるコールド・チェーンの幕開けと『氷温』の誕生」でも少し紹介いたしましたが、国内の様々な現低温技術すべての原点といっても過言ではありません。
 そこで、「氷温食品入門」発刊記念特集として、今回から4回にわたり、「氷温食品」のルーツであるコールド・チェーンについて学び、「氷温技術」および「氷温食品」の今後のさらなる普及、発展に繋げていきたいと思います。
 コールド・チェーンとは、一口でいえば生鮮食料品を産地から台所まで一貫して低温に保ち、新鮮な状態で消費地に届ける流通機構です。コールド・チェーンという言葉が使われ始めたのは、1950年(昭和25年)の8月から9月にかけて、当時のOEEC(欧州経済協力機構)とECA(アメリカ経済協力庁)共催で、西欧12カ国の専門家49名よりなるThe Cold Chain Mission が米国に派遣され、その調査報告が 「The Cold Chain in the U.S.A.」(1951年) として発行されてからです。我が国では資源調査会環境技術特別委員会が昭和39年3月に提出した「食品低温輸送方式へのLPガス冷蔵庫の実用化に関する報告」のなかでコールド・チェーン(低温車送保存システム)という言葉が初めて使われたようです。その後の「食生活の体系的改善に資する食料流通体系の近代化に関する勧告」の中でコールド・チェーン(低温流通機構)として一般に公表されました。
 その後、米国では perishable foods (腐敗しやすい食品)の流通は低温のもとで行うのが当然のこととなっており、その低温流通のなかで主役を演じているのが冷凍でした。E.C.ハンプ二世、M.ウィッテンバーグ共著の 「The Lifeline of America」(1964年)は当時の米国の食品産業の発展を良く解説しており、この本でいうLifeline(生命線)とは、農業・科学研究・加工・輸送・販売のそれぞれの機能を総合したものです。これらの機能の内、特に、科学研究を高く評価していて、「科学者は食品産業に多大の貢献をしてきた。新しい食品の開発、既存食品の改良、栄養・風味・外観の向上をもたらした。さらに科学の進歩は生産性を向上させ、また生鮮食品の品質向上に役立った。濃縮スープ、冷凍食品、ケーキミックス、その他あらゆる種類のインスタント食品は科学的研究の成果である。科学研究はまだ幼い。しかし、今後の発展は、食品産業全般の動向に大きな影響を与えるであろう」と述べています。このように、食品に対する科学研究や技術革新が米国の食品産業の爆発的な大発展を下支えしていることに疑いの余地はありません。

引用・参考文献
 1)科学技術庁資源局(1968)「低温流通機構に関する報告書」、資源局資料第70号.
 2)今戸正元(1969)「コールド・チェーンと冷凍食品」、日本食品工業学会誌16:42-49.
 3)加藤泰丸(1996)「新しい段階に入った氷温・超氷温技術による生産流通技術システム」、氷温研究会講
   演資料.

その2

 食品に対する科学研究や技術革新が米国の食品産業の爆発的な大発展を下支えしていることを認識した上で、科学技術庁(現文部科学省)資源調査会は昭和40年(1965年)、「食生活の体系的改善に資する食料流通体系の近代化に関する勧告」を出しました。この勧告の主旨は資源調査会長より科学技術庁長官への書簡に要領よくまとめられていますのであえて全文を掲げることにします。

 ◆書簡文
 国民福祉の向上といい生活水準の向上といい、いずれも国民の健康の増進をその基本としております。この健康水準の向上という観点から我が国の食生活をみると、改善すべきいくつかの問題があります。我が国の食生活は、食料消費の面からみると常温保存を主としているため、牛乳および乳製品、肉、卵、魚、野菜(主として黄緑野菜)、果実などの変質しやすい属性をもつ高位保全食品の摂取割合が少なく、漬物、干物など塩によって保存される食料が多いという特徴があります。このような特徴をもつ食生活は、我が国の健康水準を低くしているひとつの原因であると考えられます。したがって、健康水準を向上する方向に食生活を改善してゆくことは、我が国の将来にとってきわめて重要なことであります。
 資源調査会では、以上のような見地から食生活の体系的改善について調査を行い、高位保全食品の摂取割合を大きくするためには、その流通条件を低温流通方式の導入などにより、体系的に近代化することが先決であると考え、そのあり方を明らかにいたしました。
 これは我が国の食料資源を有効に利用する観点から、流通の全過程において廃棄、損耗、変質などにより資源が無駄になることを防ぎ、ひいては輸送、貯蔵を合理化し、物価の安定にもつながるものであります。資源調査会といたしましては、この調査結果にもとづき、次の事項を勧告いたします。
 ◆勧告事項
 食料流通の改善に当たっては、加工、品質保持、貯蔵、輸送、等級・規格および検査、情報など流通を構成主要機能のすべてにわたって、調和と均衡のとれた体系的改善方策が必要である。このためには、政府、公共機関、民間企業、生産者および消費者おのおのの機能分担を明確にして、当面次のことを積極的に推進する必要がある。
 1.コールド・チェーンの整備、2.食品の等級・規格および検査制度の確立、3.食料流通に関する情報体系の整備、4.生産地、中継地加工体制の確立、5.食料流通に関する研究開発(許容温度時間:T.T.T.、加工、包装、等級・規格)

 この勧告がわが国のコールド・チェーンの指標となり、諸施策もこの勧告にそって着々と推進されたのです。 

引用・参考文献
 1)科学技術庁資源局(1968)「低温流通機構に関する報告書」、資源局資料第70号.
 2)今戸正元(1969)「コールド・チェーンと冷凍食品」、日本食品工業学会誌16:42-49.
 3)加藤泰丸(1996)「新しい段階に入った氷温・超氷温技術による生産流通技術システム」、氷温研究会講
   演資料.

その3

 これまでに述べましたように、わが国のコールド・チェーンの構築は、昭和40年(1965)に科学技術庁資源調査会による「食生活の体系的改善に資する食糧流通体系の近代化に関する勧告」(資源調査会勧告第15号)にもとづき、科学技術庁みずからが昭和41年度、昭和42年度の2カ年にわたって「コールド・チェーン事例的実験調査」を実施するところから始まりました。
 実際、科学技術庁では、資源調査会が中心となって、昭和36年(1961)頃から、当時のわが国における国民の健康と食糧の関係について調査、解析を進めていました。その結果、エネルギー(カロリー)的には、ほぼ充足していて2700~2800キロカロリーの日摂取量レベルに達していましたが、漬物その他の塩蔵品などの多量摂取によると思われる胃ガンや脳卒中が多く、炭水化物に偏った食事で、欧米諸国に比べて動物性タンパク、脂肪、生鮮野菜などの消費量の少ないことが問題視されたのです。
 国民の健康を増進するためには、食生活の内容を改善する必要がありますが、塩蔵品にかえて生鮮食品を、澱粉質食品にかえて動物性食品を、というような方向に食事の内容を変えようとすれば、まず問題となることは、それらの食品のほとんど全てが変質腐敗しやすい(perishable)という性質をもっていることでした。この問題についての対策、すなわち品質保存の方法としては、びん・缶詰、レトルトなどもありますが、日常多量に消費される野菜、果実、食肉、魚介類、鶏卵などを全てこのような方法で加工することは不可能です。
 そこで、大量の農畜水産物を対象として品質を保持し、低コストで流通させることのできる技術としては、低温を利用することが最も合理的であると考えられたわけです。
 まず、生産地段階で不可食部分を取り除いて洗浄、プレパッケージなどの処理を行い、速やかに予冷(プレクーリング)して品温を下げます。次に、必要に応じて低温保管を行った後、中継地または消費地に向けて低温輸送し、低温下で荷さばきをしてから小売店まで低温輸送します。小売店では低温ストッカー内で一時保管しつつ低温ショーケースに入れて販売をするのです。これはあくまでも一つの典型的なパターンではありますが、要は収穫後から消費までの間を低温で鎖のように結ぶ、いわゆるコールド・チェーンを形成することによって、perishableな食品の品質を安定化することの必要性を上記勧告は強調したのでした。
 この勧告を公表する直前、昭和39年に東京オリンピックが開催されましたが、その時のメダル獲得の成績は期待はずれでした。各国から集まってきた選手達の体位を見るにつけても、わが国民一般の栄養を見直す必要のあることが大きな課題とされたのです。代々木に設営された選手達に出されている食事の内容と、そのための食材の調達、保管、品質検査などの状況を見聞し、わが国においても従来の食生活を改善することの必要性が痛感されたのでした。

引用・参考文献
 1)科学技術庁資源局(1968)「低温流通機構に関する報告書」、資源局資料第70号.
 2)今戸正元(1969)「コールド・チェーンと冷凍食品」、日本食品工業学会誌16:42-49.
 3)加藤泰丸(1996)「新しい段階に入った氷温・超氷温技術による生産流通技術システム」、氷温研究会
講演資料.

その4

 収穫後から消費に至るまでの間を低温で結ぶ、いわゆるコールド・チェーンを整備することによって、変質腐敗しやすい食品の品質を安定化することの必要性が明らかにされたのですが、何ぶんわが国では未経験の流通技術分野であり、生産者や流通業者がこの新しい技術を取り入れるためには大きな不安がありました。そこで、「食生活の体系的改善に資する食糧流通体系の近代化に関する勧告」という勧告を出した国みずからが実際の流通の場において実験し、この新しい技術の効用性を実証するとともに、その普及をはかるため、科学技術庁が予算を計上して「コールド・チェーン事例的実験調査」を実施することとなったのです。予算規模は約3億円(昭和41年
度、42年度の2ヵ年)、実験対象となった地区の範囲は約20道県、実際、実験対象となった野菜、果実は約2,500トン、約20品目でした(その他、食肉、鶏卵も実験されました)。
 その頃、わが国においては低温流通の経験はほとんどなく、したがって実験のために必要な温度、湿度、包装などの技術要素についてのデータもありませんでした。そこで、「氷温食品」のルーツを学ぼう(その1)でも説明いたしましたが、コールド・チェーンの先進国であった米国のデータに学ぶことが多かったのです。その時に活用したのが米国暖房冷凍空調学会ASHRAE(American Society of Heating Refrigerating and Air-conditioning Engineers)が刊行した「Guide and Data Book」でした。また、実際の流通面における施設、装置、包装資材、低温輸送、積み付け方法、その他の技術については、米国商務省が実施事例別に取りまとめて政府逐次刊行物として公表していました数十冊のBulletinが、入手し得た唯一の参考文献でした。
 さて、このコールド・チェーンの事例的実験調査では、鳥取県の二十世紀梨もその対象とされ、その実験は2カ所で実施されました。そのうちの一つは、鳥取県食品加工研究所(現 鳥取県産業技術センター 食品開発研究所)に科学技術庁が新たに設置した実験用の冷蔵施設で行ったもので、4トンの果実を、炭酸ガスと酸素濃度を調整するいわゆるCA貯蔵とも比較しながら長期保管実験したものであり、もう一つは、当時の鳥取県果実連の協力を得て、産地の営業用冷蔵倉庫を用いて、約60トンの二十世紀梨を1ヵ月程度保管した後、東京まで冷蔵輸送し販売する実験でした。
 これらの事例的実験調査の終了後も、この鳥取県食品加工研究所での長期保管実験は継続して行われたのですが、昭和45年の正月、いわゆる機械の故障によって、0℃以下まで貯蔵温度が下がってしまったことから氷温は偶然に発見されたのです。
 これまで述べてきましたように、わが国のコールド・チェーン導入から「氷温」は生まれています。国内の低温流通の歴史を振り返り、今一度、原点にもどって見つめ直していただくことが、会員の皆様の氷温事業のより一層の発展につながりますよう心より願っています。

引用・参考文献
 1)科学技術庁資源局(1968)「低温流通機構に関する報告書」、資源局資料第70号.
 2)今戸正元(1969)「コールド・チェーンと冷凍食品」、日本食品工業学会誌16:42-49.
 3)加藤泰丸(1996)「新しい段階に入った氷温・超氷温技術による生産流通技術システム」、氷温研究会講演資料.






 
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